プロフィール

概略プロフィール

【略歴】

  • 43歳、男性、茨城県北部生まれ、アメリカ・ニューヨーク→茨城県南部育ち。
  • 大学を卒業後、17年間過ごすことになる外資系IT企業に入社。
  • 趣味の不動産投資が高じて不動産会社に転職し、役員に。
  • 介護をきっかけに会社員を卒業し、不動産賃貸業で生活を始める(2018年〜)

【資格】

  • 宅地建物取引士
  • 第二種電気工事士
  • IT系のやついくつか

【家族】

  • 当時職場結婚だった共働きの妻
  • 中学生で反抗期の娘、小学生の息子の4人家族。

【大事にしていること】

  • 誠実
  • 信頼関係

【投資】

  • 大学卒業後から株式投資。日本株、アメリカ株、ブラジル株、中国株。偶然リーマンショック1ヶ月前に全て現金化。株は運次第が座右の銘。
  • 株式投資から得た現金を使って通算13棟105戸を購入、うち2棟売却済。
  • 10棟59戸世帯は町の不動産会社さんから下の方法で購入しました。
賃貸アパート寿命?耐用年数超え不動産投資
賃貸アパートの寿命過ぎてない?アイツまた耐用年数超過の物件買ったってよ耐用年数を超えた築年数の古いアパートを購入するのは「寿命が過ぎている」からリスクが高いと思っていませんか?私の購入事例を公開しながら良かった点、失敗した点をご紹介します。...
モーガン
モーガン
築古中古アパートとマンションの投資経験をブログ経由で皆さんにフィードバックしていきたいです(お節介?)。
  • アメリカドルに分散目的でハワイにコンドミニアム1戸を購入。

【趣味】

  • 野球。リトルリーグ、中高軟式、大学から20年以上草野球チームに所属。
  • ハワイ中毒。1年に一回以上行かないと禁断症状がでる。最近コンドミニアムを購入し、このブログで購入体験記を書いています。

【苦手な事】

  • 人と争う事。喧嘩する事。
  • 子育てはどうしていいかわからない…。
モーガン
モーガン
子育て誰か教えてください。。。

詳細プロフィール

私の不動産投資を始めたきっかけは2007年、リーマンショックが起きる1年半前、32歳の時まで遡ります。

ソフトウェア製造・販売企業の技術部門の部長の私は、毎日都内のオフィスに通勤する平々凡々の生活を送っていました。運よく注力事業にアサインされた私の元には有能な部下が集められ、得意先のシステム構築プロジェクトを首尾よく回してくれていました。

自分は本社オフィスで数字の管理だけをする日々。。

心配といえばその有能な部下たちが他社に引き抜かれて転職してしまうこと。滅多に本社ビルから出ない私が外出するのは、プロジェクト現場に赴いて部下にランチをご馳走する時くらいでした。

誰にでも出来る仕事に飽き飽きしながらも、ゆったりとした時の流れに安住している時期でした。

そんな毎日を過ごしているわけですから、20代に持っていたであろう現場感覚がどんどん無くなって行きます。プロジェクトの定例報告会に持ち込まれる相談や懸念事項に対して、解決策を提示できることは少なくなりました。どちらかというと部下から首を傾げられることの方が多かったかもしれません。

そもそも私が部長になったきっかけは前任の部長がガムシャラに働く20代の自分を気に入ってくれたから。

深夜になっても帰宅せず、プロジェクト現場に檄を飛ばしていた自分は、前任の部長に「甘い、緩い」と楯突いたりするくらいイキっていました。しかし、大人だった前任の部長はそんな私を息子のように気に入って後任として引き上げてくれたのです。

そんな私も部長職について数年でこの有様です。

このままだと使い物にならなくなることは薄々感じていましたが、部長職としての高い報酬と安定した本社生活を捨ててまで、プロジェクト現場に戻って汗をかこうとは思わなかったのです。

今のままでは50代、60代は迎えられない!?

そんなある日、システムの納品が終わったはずの得意先から、クレームの電話が副社長に入電します。すぐさま担当部長の私も呼び出されました。

聞いてみると納品したシステムから打ち出される請求データがほとんど間違っているというのです。

そんなはずはありません。

得意先の売上に直結する請求システムは重要システムです。ミスが起きないように10歳以上年上で大ベテランの先輩社員Yさんをアサインしてあります。

ただ、それは過信でした。

設計ミスが発覚します。周りから頼られていたYさんは後輩や外注先の補佐に没頭するあまり、自分の担当部分のテストをせずに納品してしまっていたのです。

得意先はカンカンです。東証一部上場の企業です。月末になると数億円の請求書を顧客に発行しますが、それが間違えているのですから、当たり前です。

恐る恐るプロジェクト現場に駆けつけた私も復旧作業に加わろうとしましたが得意先との交渉が全く噛み合いません。自分たちがやりたい復旧手順と得意先の優先順位を軟着陸させることができないのです。

クレームのリカバリーに不可欠なコミュニケーション能力もだいぶ劣化していたんですね。挙げ句の果てには、得意先に「おたくの部長何しにきたの?わざわざ現場をかき乱しに来たの?」とわざと聞こえるように陰口を叩かれる始末。

お手上げでした。「こんなはずじゃなかったのにな。。。」

しかし、運だけは良いようです。ちょうどエース格の別の部下が他のプロジェクト現場を終えてきたので、混乱した現場を任せることができました。

私は、、、というと、、尻尾を巻いて本社に逃げ帰ったのです。(このトラブルはその後1ヶ月かけてその部下が復旧することになります)

「このままだ40代、50代を迎えた時にビジネスパーソンとして通用しなくなる。」

嫌というほど自覚させられた事件でした。

ビジネスパーソンとして通用しなくなるということは、今の収入がピークで、これからは下がり続けていくということを意味します。

あと数年はこのポジションに必死にしがみつけるかもしれませんが、授かったばかりの長女を大学卒業するまで養っていけるかは不安に思うようになっていました。

「システムの技術畑でこの先ずっと食っていくのは無理かもしれないな。。。何か別の軸を作らないと。。。」

営業になればこの不安は無くなるはず?

この事件以来、自分の中の仕事に対する自信は崩壊しました。部下に対して指示や指導する能力がないことを証明してしまったと感じた私は、もうその場に留まることはできないと思うようになります。

その頃です。難しい得意先と交渉を成立させてくる営業が憧れの存在になったのは。

私が営業を志すのは無謀かもしれないが、営業現場で揉まれれば劣化したコミュニケーション能力を取り戻せるかもしれないとも思うようになったのです。

この頃、早熟な同期や後輩が起業して社外に出る選択をし始めていました。

彼らは(私とは違って)、実に堂々と日々を過ごしているように見えたのを鮮明に記憶しています。自分の仕事に自信を持って、経営者独特の人を引き込むような世界観みたいなものを纏い始めていたのです。

彼らに憧れたりもしたが、何の保証のない世界に飛び込む勇気は持てませんでした。

飲み会の場で「経営者は営業ができなければダメだ!」と聞いた私は、結局、消去法で営業に異動願いを出す事を選びます。

「技術畑にはもういられないし、いきなり経営者は無理だ。。。一旦、営業で揉まれよう。」

賢者との出会い

営業に異動して丸2年が経過した時のことです。ふと我に帰ったことがあります。

「こんなはずじゃなかったのに。」

営業に異動した最初の1年こそは、全く売上を立てることは出来ませんでしたが、3年目から一定の数字は残せるようになっていました。

それにもかかわらず、失った自信を取り戻せていない自分に気が付いたのです。

計算違いでした。

確かに得意先に赴いて、営業行為らしいことも以前よりはできるようになったかもしれませんが、それはバックアップしてくれる有能な上司や一定のシェアを得ている商品があってのこと。劣化したと感じた能力が格段に飛躍した訳ではありません。

「この会社が潰れてしまった時、妻、長女、そして新たに授かった長男を養っていけるか?」という問いには、引き続き自信がなかったのです。

時は2008年9月から始まったリーマンショック不況の真っ最中。バッタバッタと有名企業が倒れる中で、どうすれば家族を養っていけるのかと自己啓発本を読み漁っている自分がいました。

その中でロバート・キヨサキのベストセラー「金持ち父さん 貧乏父さん」に出会います。

この本では、一生懸命働く20代の夫婦がマイホームやマイカーという負債を抱え、しまいにはいくら働いても資産が貯まらない状態になるというエピソードが語られています。

「正に自分のことじゃないか。」

そこから抜け出すためには経営者になって資産を築くことと書かれています。さらに一番簡単なのは収益を生む投資用不動産を手に入れることだ、とも。

20代から運用していた株式投資でうまくリーマンショックの暴落をかいくぐることができた私は、「不動産投資ならできるかもしれない。」と考えたのです。

「ちょうど賃貸アパート・マンションは価格が下落している。うまく購入できれば、経営も難しくなさそうだし、自分の人生に対する自信も取り戻せるかも!」

私はすぐさま不動産投資の本を読み漁り始めたのです。

自分に自信をもたらしてくれるのは不動産投資!

妻曰く、私は「本に影響されやすい」そうです。確かにそうかもしれません。この時から本に書いてあった事を矢継ぎ早に実行し始めるのですから。

健美家、不動産投資連合隊などの物件検索サイトを通して知った不動産会社さんに片っ端から会って良い物件を紹介してもらう日々の始まりです!

しかし、本で得た情報以外は、不動産業界については何も知りません。

就職して一人暮らしを始めた時にエイブルに賃貸マンションを紹介してもらったくらいしか実体験はありませんでした。

全くの初心者だったのではじめはトンチンカンなことばかりします。

不動産管理会社さんに売買物件を紹介するように迫ったり、出てきた物件に何の根拠もない大幅な指値を入れたり(鬼の指値とかいう言葉がブログで流行ってたので、影響されてしまい…)、思い起こせば本当に迷惑な客だったと思います。

挙げ句の果てには、ようやく買付が通った(=売主と金額が成立した)物件で、返済が行き詰まったらどうしよう…と恐怖に苛まれ、業界御法度の「買付キャンセル」なんかもしてしまいました。

当時私が信じていたのはRC光速投資と呼ばれた手法です。

1億円以上するRC(=鉄筋コンクリート造)1棟マンションを光のスピードで立て続けに購入して、一気に莫大な資産を築くというやり方です。

会社員の優良な属性を使って銀行からフルローンさえ引き出してしまえば、あっという間にセミリタイヤできるということで、話題のネット情報商材でした。

単純な私は触発されて地方都市の1億円の物件に買付を入れたのです。それが幸か不幸か、すんなり通ってしまった…。

よくよく事業計画書を見てみると毎月の銀行融資返済額は50万円近くになります。毎月の給料で簡単に返済できる金額ではありません。

不測の事態が起きて返済できなくなった時の家族の顔を想像すると、寝汗が止まらなくなりました。買付が通った翌日に「すいません、怖くなってしまいました。買えません。買付をキャンセルさせてください」と申し出たのです。

間に仲介に入った不動産業者さんにしてみたら、たまったもんじゃありません。散々、諸条件を調整させられた挙句に、「怖くなった」という一言でキャンセルです。

それでもこの不動産会社の営業担当Oさんは初心者の私の気持ちに寄り添って「気にしないでください。気持ちわかりますから。」と見過ごしてくれました。

相次ぐ退去で家族を路頭に迷わせる?

私もこの件で自分に見切りをつけます。

自分一人の力では、怖くて物件を購入することができないと不動産業界にいた高校時代の親友Kに声をかけたのです。

「Kなら俺を騙さないよな?お前から買うから、良い物件紹介して。そして、俺が怖くなったら、一生懸命励ましてくれ」という自分勝手なお願いをしました。

ほどなくしてKから物件を購入することになります。

1・2階が飲食テナント、3・4階が1Kの住居というRC4階建で、自宅から1時間半かかる千葉県にありました。高校時代の親友KとKに紹介された不動産売買仲介A社長に言われるがまま売買契約書に押印したのは2010年のことでした。

夢は意外に早く実現しました。念願叶って経営者としてのスタートです。

しかし、試練は直ぐに訪れます。購入直後から入居者が次々と退去して行ったのです。

購入後の管理はそのままA社長の会社に任せていたのですが、社員3名で回している会社です。売買は得意でも手間のかかる管理は苦手だったようです。

おまけに私が業界慣習を無視して管理手数料を5%から4%に強引に値切ったこともあり、A社長は完全に拗ねていました。

入居者への対応は退去者を出すほど杜撰になり、入居者募集についても蔑ろになっていました。

引越しシーズンでもないのに、毎月のように退去者が出ます。入居率は60%に落ち込みました。物件購入前に入居率の最低ラインとして想定していた80%をゆうにきっています。

退去に伴う原状回復費もかさみました。

完全に赤字ですし、下手をすると銀行への返済も滞ってしまうラインです。

もう直ぐ購入してから半年です。情報商材にもRCは不動産取得税が高額になるので注意!と書いてありましたが、まさにその数百万円の請求書が届く頃です。

家族を路頭に迷わせることになるのではと再び夜は寝られなくなりました。。

再び本に救われる

夜もおちおち寝られないので会社員としてのパフォーマンスにも影響を及ぼし始めています。会社のことではない以上、いつも頼りにしている会社の同僚に相談もできないので、一人で苦しい思いをしていました。

兎にも角にも入居率を元の水準まで戻さないといけません。

私を救ってくれたヒーローは、ここでも「本」でした。

沢氏、寺尾氏、赤井氏という会社員をしながら不動産投資を始めた先駆者が、その経営を軌道に乗せた道のりについて本を出版していたのです。そこには私がまさに直面している困難を会社帰りや休日を使って解決していく様が描かれていました。

「不動産投資は会社経営そのもの。ピンチの時は社長自ら動け、他人任せにするな!」ということが教訓として書かれています。

私はA社長に思うことは沢山ありましたが、早々に気持ちを切り替えることにしました。

私の良いところは本に書いてあることを素直に実行できるところです。早速自分で賃貸仲介店舗に飛び込み営業することにしたのです。

仲間を作る方法を覚える

私はその決意した日を境に会社帰りや休日は物件近くの賃貸仲介店舗に飛び込み営業をかける日々を過ごすことになりました。

自宅から1時間半離れていたのできつかったですが、遠いなんて悠長なことは言っていれられません。間取りと賃料が書かれているマイソク(=空室募集図面)を作り、入居者を紹介してください!と手当たり次第飛び込み営業かけたのです。

そんな私の熱意に反して、賃貸仲介店舗の人の反応はイマイチでした。

「一生懸命ご紹介させていただきますね。」というわかりやすい社交辞令を言われるだけです。この時はなぜ賃貸仲介さんがシラけた対応をするのかわからずにいました。

めげずに20店舗ほど飛び込み営業した頃でしょうか。

運を引き寄せる出会いがありました。

そのとき業績を伸ばしていた大手客付チェーンのX店長さんが私の不備を指摘してくれたのです。

「モーガンさん、広告料って知ってますか?賃貸仲介が受け取る報酬のことです。その記載がなければ誰も動きませんよ」

私はこの時に初めて仲介手数料以外にも報酬を渡さないと動いてもらえない事実を知りました。

また出費が嵩むのか、、、と思いましたが、仕方がありません。すぐに修正です。

私はその後も繰り返しX 店長に顔を出し、もらった指摘を一つずつ修正して行きました。

そんな私を見て不憫に思ったのかもしれません。その後の数ヶ月でX店長が全ての空室を埋めてくれました。

将来のリスクに備えるために布陣を整える

ついに満室です。ついに赤字経営からの脱出です!

毎月かかる費用や返済よりも賃料収入が上回る月が続くようになると、ぐっすり眠れるようになりました。

一つだけ気がかりがあります。A社長との関係は壊れたままということです。私も悪いところはあったとはいえ、ずさんな対応をこれ以上容認するわけにも行きません。

紹介してくれた親友Kに事情を話した後、M社に管理委託を打診に行きました。

このM社は何を隠そう、私が買付キャンセルをして迷惑をかけたOさんの会社です。買付キャンセルを申し入れた時に嫌な顔一つせず、逆に私に寄り添ってくれた会社です。

その時以来いつかこの会社と取引がしたいと思っていました。

当時のM社は管理業務の受託は始めたばかりで未知数でしたが、一生懸命やってくれるに決まっていると管理を切り替えることにしました。

これで枕を高くして寝ることができる。

そう思った矢先です。また悪夢が襲ってきたのは、、、。

最大テナントの退去で悪夢再び

管理の切り替えをする直前のことです。電話口からA社長の会社の担当者から「1階の焼肉屋さんが退去したいそうですよ」とやる気のない口調で連絡がありました。

時はリーマンショック後の大不況。大手チェーンの焼肉屋でさえも店舗をたたむというのです。

これは由々しき事態です。なんせ、物件の総賃料収入の4割弱がこのテナントの賃料なのです。また入居率6割時代に逆戻りしたようなものです。

一番まずいのは、今回の退去は住居ではなく「テナントだと言うことです。

賃貸仲介のX店長は住居専門。

X店長の「テナントは力になれないかもしれません・・・」と初めて聞く力のない言葉に愕然としました。

悪夢から習得した会社経営のコツ

前回乗り切れた入居率の危機ですが、今回はもっと深刻になることが予想できました。というのも、協力を仰ぎに言った賃貸仲介店舗はどこも弱気。

「この不況下では、事業を縮小するところはあれど、新規出店しようなんていう話は聞いたことありませんよ」

そんなことはわかっています。本業でも商談が泡のように消えていくのを目の当たりにしているのです。

だからと言って立ち止まるわけには行きません。

すぐさまM社に委託開始を前倒ししてもらい、テナントに強い仲介店舗へ営業活動を行ってもらいました。A社長に下手な条件交渉をした時のことを反省し、M社が動きやすいように条件を整えたのは言うまでもありません。

自分もやる気、パートナーもやる気だと状況は一変できるようです。

ほどなくして、動物病院の開業が決まりました。

親が経営している動物病院から息子さんが暖簾分けして開業するそうです。この不況になんとありがたい。若干賃料は下がったものの、また安定した経営ができるようになりました。

40代にして初めて手にした安定

満室経営を実現できるようになった私はすっかり自信を取り戻し、述べ10棟87戸(2019年1月現在)を購入しました。

この間、多少の入退去はあるものの、優秀な管理会社さんや工事業者さんの支援のもと、ほぼ満室経営を実現することができています。

2棟27戸の売却も経験しました。この2棟はいずれもRC物件です。

当初志していたRC光速投資という手法は、自分に合わないと判断し、市況が好転した2015年-2016年にかけて手仕舞い(=売却)しました。

RCマンションの場合、税金や修繕の出費が大きくなることから市況を見ながら売り抜けないと投資効率が悪くなることがあります。

私はこの市況感を気にしながらする投資よりは、費用も税金も安く抑えられ、壊れたところを少しずつ修繕しながら長期運用できる築古木造・軽量鉄骨アパートの投資に切り替えたのです。

昨年親の介護をきっかけに43歳で会社員生活にピリオドを打ちました。現在は保有している物件からの賃料収入で暮らしています。

まだまだこの不動産賃貸業の収入は、会社員時代の給料より低いです。

現在はスルガ銀行の事件を発端に、不動産投資のマーケットは下落・縮小傾向ですので、収入を増やしていけるかの確証もありません。

しかし不思議と不安は感じません。

10年超の不動産賃貸業を経営した経験が、どんな困難でも乗り越えられるビジネスパーソンとしての自信をつけてくれたようです。

本などで絶えず自分をアップデートし、信頼できる仲間と良好なコミュニケーションを取り、ともに積極果敢に事業に取り組めば大抵のことは乗り越えられることがわかったのです。

このまま50代、60代を迎えてもやっていける気がします。0代に社会人になってから初めて安定したと感じています。

これから不動産投資を始める方には、私と同じように誰にも相談できずに困っている方もいらっしゃるかと思います。

不動産投資の手法も数多くあり、自分に合ったものを見つけるまでに色々悩みますよね。私は運よく本だけで切り抜けてこられましたが、できることなら相談相手が欲しかったと思います。

もし、本ブログからお問い合わせいただければ、お助けできるように回答させていただきますので、気軽にご連絡いただければと思います。(お金貸しては辞めてくださいね、笑)

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